クリムト展に行ってきました!
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    お盆休みに家人とゲーム三昧の息子2人を連れて豊田市美術館に行ってきました。クリムト展は今年話題の大型催事で東京展から好評だったのと、もともと個人的にクリムトの「接吻」(今回展示は無し)が好きでブックカバーにしていたこともあり、この展示だけは必ず息子たちを連れて家族で行こうと決めていました。


    内容を語る前に、まず豊田市美術館はすごいです。豊田市民は観覧無料、他市民でも高校生以下は観覧無料という大盤振る舞い(大型駐車場も無料開放)。さすが財政豊かなトヨタ城下町だけありますね〜。名古屋市美術館で名古屋市民無料になったらパニックになるかも知れませんね。いやー羨ましい。


    会場に入ると19世紀終わりから20世紀にかけてウィーンのハプスブルク家が最高に輝いていた頃の数々の芸術が紹介されています。クリムトやエゴンシーレや作曲家のグスタフマーラー、精神分析医のフロイトが当時ウィーンで活躍した面々です。クリムトの黄金がどうした背景で生まれてきたのかなど大変興味深い説明を読みながら進みます。


    クリムト展のポスターにもなっているユディト(生首を持って恍惚の表情を浮かべている)はサロメと良く比較されますが、一般的に西洋画では血のついた武器と一緒に描いていればユディト、お盆などに生首が乗っかっていればサロメと言われていますが、クリムトのユディトは武器は描かれていません。ヌード=ホロフェルネスを誘惑したと理解されてユディトとされています。


    今回の目玉はユディトと女の三世代です。またほかにクリムトの代表作、ベートーベンフリーズもレプリカで展示されていました。いずれも独特のクリムトワールドで色とりどりの多色使いと金を使った技法です。男性は全く書かなかったという画家でもあります。美しい女性が何よりも好きだったようです。


    クリムトは生涯未婚だったようですが、複数の女性と関係を持ち、子どもも10名以上いたそうです。この時代ならではですね。今の時代なら大問題です(笑)。ちなみにユディトのモデルの女性はアデーレさんと言い、別の作品「アデーレブロッケンバウワーの肖像」でもモデルをしています。この絵、アデーレは戦時中ナチスに強奪され、戦後、オーストリア政府に戻された絵を子孫たちが取り戻すという史実に基づいた映画(黄金のアデーレ)にもなりました。映画はAmazon primeでも観れます。


    クリムトの名作の数々を堪能したあとはグッズコーナーとミュージアムショップを見つつ(当社の黄金の騎士のブックマーカーはとても売れていると販売員さんにもとても好評でした!)、いくつかグッズも買ったあと帰途につきました。また訪問したい美術館です。良い休日になりました。


    クリムトの名作「接吻」です。

    モチーフは愛知県美術館さん所蔵の「黄金の騎士」です。


    | - | 20:09 | comments(0) | - |
    お墓まいりに行ってきました!
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      お盆はやっぱりお墓詣りです。この時期になると先祖に想いを馳せ、お墓まいりに行きつつ、家族のルーツを辿ります。平手家のルーツは愛知県北部の犬山市楽田です。ルーツを物語る菩提寺やお墓も何箇所かに分かれて楽田にあります。(そう言えば、欅坂46の平手ちゃんの実家も愛知県北部とあったので、きっと何処かで繋がっているはず)。


      平手家の先祖は平手政秀という織田信長の家老で育ての親。最後は信長を諌めるために切腹した人物として知られています。かなり昔の話なので詳しいことは分かりませんが、子供のころから祖母に良く先祖の話を聞いたものでした。平手家の多くは政秀の死後、若宮大通の政秀寺に菩提寺を移しましたが、うちは移っていません。その辺りのことは全く分かりませんが、楽田城北門跡がうちの土地になっていることから繋がりはそれなりに深かったと思います。


      楽田城と言えば、羽柴秀吉と徳川家康、織田信雄が戦った小牧長久手の戦いです。秀吉の本陣の最前線が楽田城でした。ここを拠点に家康と戦いました。家康が小幡城に入城したタイミングで秀吉軍は岡崎城を目指しました。長久手の古戦場に行くと資料館で当時のことが学べますが、岩崎城で足を止めずそのまま岡崎城に乗り込んでいたら歴史は大きく変わっていたかも知れません。愛知県は安土桃山時代の歴史の宝庫ですね。



      | - | 21:58 | comments(0) | - |
      あいちトリエンナーレに行ってきました!
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        あいちトリエンナーレに行ってきました。トリエンナーレは3年ごとに開催される現代アートの国際芸術祭です。当社は第1回目から継続的にグッズの製作で少しお手伝いさせていただいていることもあり、毎回観に行くのですが、まとめて現代アートを観るため、アートのシャワーを脳にいっぱい浴びせる絶好の機会になっています。


        現代アートと一言で言っても範囲はとても広く、コンテンポラリーアートと言われるキースへリング、アンディーウォーホール、草間彌生さん、村上隆さんのようなポップな色使いのポスターのような絵や、塩田千春さんのように部屋全体を作品と見立て自分の心の内側を糸で表現するインストレーション、また不穏な音や工業的な匂いで社会の暗部を表現するインストレーションなどがあります。ここ数年でインストレーションが増えているなあと感じています。


        アーティストはもともと繊細で感受性が高く、時代の空気に敏感に反応します。それゆえに、バンクシーのように絵を通じて世の情勢を風刺したり、矛盾やバカバカしさ、くだらなさを糾弾するという人もいます。社会派作品と言われるものです。


        第二次世界大戦が終わり70年以上たちましたが、相変わらず世界から暴力や差別はなくなっておらず、自分さえ良ければ良いという利己的な政治メッセージがまかり通る世の中になっています。また女性、移民、LGBT、精神障害者などマイノリティーに対する多様性(ダイバーシティー)が重要だとか言いながら、現実には移民を受け入れない。ハラスメント行為がなくならないと言った極めて不寛容な時代であるのも事実です。あるべき姿とのギャップはますます開いています。地球環境問題も同様です。


        社会派のアーティストたちはそうした空気感をインストレーションという方法を使って表現し、鋭く私たちに問いかけてきます。これで良いのか!と。今回は特に芸術監督が社会派ジャーナリストだけあり、どの現代アートの展示会よりジャーナリスティックなものになっており、社会の闇の部分や社会に取り残されてしまった存在にスポットを当てて、議論を挑んできます。


        前回までのトリエンナーレとは印象がガラッと変わりました。もちろんポップでキュートな作品もありますが、全体的に不安な社会であるだけに、不穏な作品が多く、ポップアートを期待してきた一般大衆の私たちにとっては少し分かり難く、心がなんとなく重くなる作品も少なからずあります。


        また一連の作品を見ると「不自由な展示、その後」がなぜこのタイミングで展示されたのかという理由も分かってきます。60万人の観客がそれを望んでいるかどうかは別の議論ですが、社会派ジャーナリストが切り込んでくる極めてチャレンジングで危ないギリギリの作品群だったことは良く分かりました。


        芸術は時代の空気によりマッチした作品が出てきます。今では名作として誰でも知るピカソの「ゲルニカ」も、マネの「草上の昼食」「オランピア」も初めから世間に受け入れられていた訳ではありません。時代が受け入れるには時間もかかります。今回問題となった作品も後の世には受け入れられる可能性も十分あります。


        ただ作品は素晴らしくても、それが今、このタイミングで、どう扱われているのか、何の象徴になっているのか、それを見た人が果たして共感できるのかは、公的な税金を投入して行う以上、法的にどうかを議論する以前に慎重に見極める必要もあったのかも知れません。色々議論があるトリエンナーレですが、わざわざ出かけて「観る価値がある」アートもいっぱいありますので是非会期中にお出かけください。







        | - | 16:40 | comments(0) | - |
        幸せについて考えました!
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          会社で月に一度読書会をやっていますが、読書会の後は必ず振り返りを書いて貰うようにしています。振り返りは一見面倒なんですが、振り返ることで他の人の発言や自分でぼんやり考えたことを思い出し、新たな気づきや学びを得る機会になります。ここが大切なポイントです。ファシリテーター役の私もみなさんの振り返りを読むのですが、それを読むと本当にうちのメンバーはみんな素直で自分の気持ちを他者に開示し、言葉にして伝えることができているなあと嬉しく思っています。


          コミュニケーションの第一歩は自己開示です。自分の弱いところや困っていることを周りの人にすっと開示できることはとても勇気がいることです。自己開示をするには、まずここは安全なところである。この人たちには何を話しても良いんだと言う心のつながりが必要です。そんな土壌になっていると言うことがとても嬉しいです。


          お互いに自己開示が出来ると素直に人の意見を聞けるようになり、その仲間の話や振り返りから新たな学びや気づきを得ることができるようになり、自ら行動を変えていくことができます。人とのコミュニケーションは煩雑で面倒ですが人は1人では生きていけません。人とのコミュニケーションからしか学べないことも結構あるのです。


          仕事は時に担当者を苦しめます。暇であろうと、忙しかろうと同じです。そんな苦しいときに周りに、気軽に「助けて」が言える環境が大切だと思います。みなさんには、安心して助けてと言える人がいますか?


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          小野田さんの言葉が心に刺さりました!
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            この時期になると決まって終戦に関連したテレビやニュース番組を見かけます。その1つに小野田寛郎さんを取り上げた番組があり、懐かしさもあって見ることにしました。小野田さんはフィリピンのルバング島で終戦後も戦闘状態のまま29年間滞在し、最後は元上官の解除命令を受けて帰国したという方です。


            私と同世代以上の方はもちろんご存じかと思いますが、若い世代の人もあの鋭い眼光で敬礼する小野田さんの写真を見たらあーこの人かと分かると思います。戦後29年間もジャングルで戦闘状態で過ごすことってどんな気持ちなんでしょうか。班長として振舞いながらも部下が亡くなっていく、どんな気持ちで見送ったのでしょうか。また家族への思い、日本への思い、どれだけ募ったでしょうか。私だったら気が狂います。


            その小野田さんは既にお亡くなりになっていますが、日本に帰国後、もう一度思った通りに生きたいと直ぐに姪の住むブラジルに移住し荒地を購入し、自ら農場を作り、現地で大成功しました。数奇な運命を生きた方でしたが、その生き様には学ぶことも多くありました。


            特に晩年の小野田さんがインタビュー映像の中で遺した言葉が印象的でした。「目標をしっかり持つとね、切り捨てることができるんです。色々なことに囚われずに済むんです。一旦目の前のことに囚われてしまうと絡め取られてしまい、前に進めなくなるのです。」


            自分が何をしたいのか、そこが目標です。ここがしっかりあれば、手段は自分で決めることができます。小野田さんにとって「玉砕はしない。必ず生きて帰る」という目標があったからこそ、ジャングルを生き抜くことができたと思いますし、その後「自分が生きた証を残す」という目標があったから、帰国後直ぐにブラジルに移住し、牧場経営という大仕事が出来たのだと思います。


            私たちは、「幸せになるために、全てのことを自分で決める」という権利を持っています。誰もこの権利を奪うことはできません。周りが何と言おうと自分のことは自分で決める。そしてその結果は良くても、悪くても全て自分で引き受ける(誰のせいにもしない)という心意気が重要です。私はそう思っていますし、そう意識しています。


            安倍首相も最初に首相になったとき、難病指定されている潰瘍性大腸炎を患い苦しみました。その時、総理を辞めるという決断をしました。野党だけではなく、身内の与党議員からもひどいことを言われましたが、すぱっとやめてしまいました。自分のことは自分で決めるとはそういうことです。それでもしっかり目標を持っていたので総理に復活し、今に至っています。安倍政権が長期政権であることはそうした背景が大きいのではないかと思います。私の親族も潰瘍性大腸炎でしたが本人も死を考えるほど辛かったと言います。それだから安倍首相は同じ病気の人の希望の星だと、安倍首相のように自分たちも治して社会復帰できる。多くの患者にとって安倍首相の存在が心の支えになっているということでした。


            楽な仕事はありませんが、楽しい仕事はいくらでもあります。全てはコインの裏表です。物事の捉え方でその後の選択は変わってきます。私たちは自分のことは自分で決めることができます。辛いときは自分の内面が成長していると信じるのです。それでもどうしても出来なければ止めれば良いのです。一旦、止めて別のアプローチを考えれば良いのです。必ずあります。自分の目標は何か、そのためにはどうするか、いま詰まっている状況であればどう克服するかを考える技を身につけるとずいぶん楽に生きれるはずです。


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